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世代交代はいつだって痛い。
どれだけ理解のある先代でも。
どれだけ成熟した後継者でも。
代替わりの期間は混乱する。
前の世代の成功体験は楔(くさび)になり、愛情は足かせになる。
次世代はいつだって傲慢で甘ったれ。譲ってもらう立場なのに権利ばかり主張する。
でもこれは、誰のせいでもない。
次の世代に主体を手渡す時には必ず、ひずみが生じるものだから。
大切なものを渡すのに慎重になる現役世代と、はやく受け取って自分のものにしたい次世代との永遠の闘争。
それが世代間ギャップ。
世代間ギャップを埋めるためには対話が必要。それを手伝うのが私の仕事だから、口酸っぱく言い続けている。
しかし、そう言いながらも頭の片隅にある何かしらの諦観を、私は密かに愛している。
そこにあるものを消すことはできない。
存在するギャップを無かったことにはできないし、完全に埋めるのは不可能。
それはマリアナ海溝を埋めてしまえという暴挙にも等しい。
橋をかけたり、共通言語なる翻訳機能を設けてみたりはするものの、限界はある。
人が完全に他者を理解するのは不可能なように、現世代と次世代がパーフェクトに意気投合する姿を思い描いてはいけない。
「ある程度」の相互理解で充分。どの程度まで必要なのかは各ファミリー、各同族企業によって違うけれど。
どのみち、そこから先は自分たちで創るしかないのだから。
世代間の相互理解にどれだけ時間を割いても、新しいものは創れない。それはビジョンではない。
スムーズな世代交代なんてあり得ない、とはどの本にも書いていない。
苦しみはデフォルトなのだと、あらかじめ教えてくれる大人はいない。
私は声を大にして言おう。
予定調和の世代交代なんてあり得ない。そんなものをいつまでも追い求めても無駄だ。
自社や、自分の家族が前へ進むためには「どこまでの理解が必要か」を見極めること。
見極めて、世代間の相互理解のために十分な努力をしたら、あとはビジョンを達成するために邁進すればいい。ひたすらに。