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買ったまま自宅のバケツに放置していたお花をやっと活けました。
10分でできるのに、疲れているとやれない事ってありますよね。
部屋にお花があると気分がいいのはもちろんなのですが、「花を活ける人でありたい」という自分のありたい姿(ビジョン)が実現されて、気持ちがよくなるのだなと今回気がつきました。たった10分の作業ですが、完成すると深い達成感を味わっています。
花のない暮らしが続くと、植物がないことよりも「花を活ける人」を実現できていない自分にストレスを感じてしまいます。なぜそう思うかというと、部屋には観葉植物も置いてあって、グリーンという意味では不満はないからです。そもそも住んでいる地域が郊外なので部屋の外を眺めれば緑は飽きるほどありますし。
だから花を活けるという行為は、私にとっては潤いが欲しいだけではないと分かりました。
「花を活ける人でありたい」という願望は、社会とは全く関係のない、ごく私的なものです。
でも、こんな小さなものでも自分の大切なビジョンなので、達成されないとストレスになります。そんなことで、と思いますか?
ちょっと考えてみてください。例えば髪型が気に入らない時(美容院で失敗したとか、髪の毛が薄くなってきた(!)など)は、鏡を見るたびに『残念な自分』と向かい合うことになります。これは小さなストレスです。誰でも1日に何回かは鏡を見ますよね。その時の自分が『ありたい髪型の自分』とほど遠ければ何となく気分が晴れない、自信が持てないという気持ちになるのは当然です。
これが「ビジョンが達成されていない状態」です。
例え周囲の人が、そのヘアスタイルも素敵だよと言ってくれたとしても自分が納得していなければストレスは続くでしょう。
自分のビジョンとは、誰からも強要されないものです。
強要されないのに、自ずと「こうありたい」と願うもの。自然に沸き上がってくる思い。それがビジョン。
私の「花を活ける人でありたい」というささやかなビジョンが、一方では花を活けるという行為を生み、他方ではストレスを生む。
人間の動機とは、かくも面白いものですね。