CATEGORY
親と一緒に働く。
それが、多くの後継者が歩むファーストステージです。
自分もその一員であるはずのファミリービジネスですが、やはり最初は「親の」会社です。(もちろん直系親族でない場合もありますが、ここでは最も多いケースを例に出しています)
私は「父の会社を手伝おう」と思って30歳を過ぎたころに(株)丸山組に入社しました。
親と同じ会社で働いたことによって、私は何に苦しみ、何を得たのか。
N=1(自分)の何の裏付けもない考察ですが、葛藤と得たもの両方が貴重だったなあと思うので、書いてみます。
父親が経営する中小企業に入社して間もなく、私は見たくもなかった親の姿を数多く目の当たりにしました。それに対して憤りを抑えられない自分にも、出会いました。
自分が成功したやり方に固執する父親。
変えようとしない父親。
学ぼうとしない父親。
そういう父親に対して、感情的になってしまう自分がいる。冷静に話をしたいのに、つい声を荒げてしまう。仕事なのに。私は仕事で感情的になるような人間ではないのに。他の人にはきちんと対応できるのに。
通じ合えない。理解されない。親なのに。血が繋がっているはずなのに。
自分の話を聞いてほしい。分かってほしい。
子供として当然の期待が、いともたやすく裏切られる。
私が父の会社に入って間もない頃に経験した葛藤が、この「親に期待している自分」でした。
家での親子関係だけなら、「親への期待」を自覚することはなかったと思います。
父と娘として、我が家はコミュニケーションが(僅少ともいえるほど)少ない親子だったので、父親のことをどう思うか、などと考えたことがなかったのです。
それが、家業で否応なく親と関わらなければならない状況になり、父とのコミュニケーションに向き合う必要に迫られました。
ここを無視しては前へ進めない。
同族企業は、ファミリーメンバーのコミュニケーションの良し悪しが会社のパフォーマンスに大きな影響を与えます。跡取りの私が現社長(=父親)とうまく意思疎通ができなくて、いったいどうやって良い会社にしていけるというのでしょう。
この事実(親子コミュニケーションを改善しなければ、丸山組を良い会社にできない)が、私にとっては会社を継ぐプロセスで最初の、かつ最大の関門でした。
他人に期待するから自分がイライラする、だから期待を捨てろ、などというビジネス書の処世術が効く世界ではありませんでした。
なぜなら親子ですから。
子どもというのは、生まれた瞬間から親に依存しなければ生きていけない生き物です。この人がご飯を食べさせてくれる。この人が自分を保護してくれる。親は、子どもの(本能的ともいえる)期待に応えることで、子どもを守り育てるという義務を果たすのです。
うまくいっていない社長と跡取りの関係をみて、「会社に親子の感情を持ち込むなんて」と安易に言い放つ人もいます。幹部社員だったり、顧問税理士だったり。「はたから見たらただの親子ゲンカ」にうんざりする外野の気持ちも分からなくはありません。大塚家具の一件のように、社会的な関心事になれば尚更のこと。
しかし「会社だから割り切って」とか「もっと冷静に」と言える人は、親子の関係性や、人間の感情の生まれる場所というものに真正面から向き合ったことがない(向き合う必要がない)人だと思います。
人間は、どこにいようと、誰といようと、育った環境から離れて存在することはできません。会社にいる私も、家庭にいる私も「この親のもとで育ち、こうやって大きくなってきた」わたし自身なのです。
「切り分けられない一個の存在としての自分」を自覚する以外に、この感情のもつれに向き合う方法はないと、私は考えました。
社員のまえで親子ゲンカのような会議をやっていて、良い会社になるわけがありません。感情が先走らないで建設的な話し合いができる親子・親族関係を目指さない限り、そのファミリービジネスに未来はないでしょう。
人間の発達心理を正式に学んではいませんが、「個の分離」という言葉を聞いたことがあります。親に依存しなければ生きていけない赤ちゃんが、成長して一人前になるプロセスで、「親と自分は別々の人間である」と認識すること。親も、子どもの成長に従って、子ども扱いをやめて自立した個人だと認めること。
依存関係からの脱皮。互いに成熟した個人として、自分の足で立つこと。
この自立は「親に期待していた自分」に気付くところから始まります(親の側からは、成人した子どもをいつまでも子ども扱いしていたことに気づくこと)。
親に期待していた「子どもの自分」を認める、さらに言えば、そういう「子どもの自分」を許してあげることが、自立への第一歩なのではないかなあと考えます。
自分を知ることが、成長のスタートライン。
(「個の分離」については、より明確に表現できるよう探求を続けていきます。そもそも、親のほうが子どもを一人前の人間として認識するところから、本来の自立は始まるのですから)
私は、「親に期待していた子どもの自分」に気付いたところから、本当の意味での自立が始まったと思っています。そう考えると、丸山組という、親と一緒に仕事する場があったのは、私の成長にとって何よりもの幸いでした。
親との関係に向き合うこと。
自分を知ること。
自分を成長させるために、自分で気づくこと。
この繰り返しが私を強くさせ、大切な会社を守る力を育むことができたと思います。