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先日、客先の会議でファシリテーションをした時に、参加者の意見をホワイトボードに書いていたら、会議後に参加者の一人から「丸山さん、漢字が『書けて』すごいですね!」と妙な褒められ方(?)をしました。その方は「自分だったら、全部ひらがなになっちゃいます」とのこと。
私が書いていたのは、特段難しい漢字(憂鬱とか)ではなく、日本人の社会人なら普通に書けるであろう漢字でした。
確かに、ホワイトボードにせっかく書いても、ひらがなばかりだと読みにくくて困ります。「きょうぎょう」と書いてもそれが「協業」なのか「競業」なのかで全く反対の意味になってしまいますもんね。
別のワークショップで参加者自身に付せんに意見を書いてもらった時は、20代の人はみんなスマホで漢字を確認してから書いていました。
こうしたいくつかの出来事から思ったのは、スマホなしでできることは「すごい」という時代になっていくのかなということ。
体が覚えていること(ナビゲーションなしで目的地に行く、電話番号を指が勝手に押す、ウィキペディアを使わずに記憶をたどって話すなど)は個人の特質・スキルであって、できても出来なくても生活できる時代です。
かくいう私も、漢字は書けますが、Googleナビがないとどこにも行けません。地元ですらナビを使うレベルの方向音痴です。
だから、漢字が書けないと恥ずかしいとは思いません(ファシリテーターとしては困るかもしれないですが)。
ただ、スマホがないと何もできない自分・・・というのは、生物としてちょっと悲しい存在だなあと同時に思いました。だからといって何か訓練しているわけでもないですが、こんな時代だからこそ、五感を使うことは意識したいものだと思った次第です。