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2025.07.14日-
話が「見えた」とき

「ピクチャリング」という手法を、この2年半まなび続けています。

アメリカの経営コンサルタント、作曲家で映画製作もするロバート・フリッツ氏が提唱している手法で「言葉を映像にする」という技です。

日本でピクチャリングを教えているロバート・フリッツ・コンサルティングの田村洋一氏の言葉を借りると「相手の語る内容をまるで映画を撮るように、頭の中で映像として描いていく技術」です。目の前の人が語る内容を、言葉から映像に変換するのです。

話を「理解しようとする」のではなく「ただ観る」。

詳しい説明は省きますが、これができるようになると話の本質が瞬間的に掴めるようになり、構造が浮かび上がってきます。

今日のブログでは、そのピクチャリング・トレーニングの中の『非言語ピクチャリング』(一度描いた映像から言葉を消して、映像だけを観るという練習)をやった時のことを書きます。

 

ある金曜日の夜、近しい友人の話をピクチャリングしながら聞き、そのピクチャーを頭の中で黙って眺めてみました。眺めているうちにピクチャーがどんどん輪郭をもって鮮やかに現れ、映画のワンシーンのように再生されました。

あまりに明確な映像になったので、そのピクチャーを細かく相手に伝えてみたのです。

「(あなたの言わんとしていることは)これで合ってるかな?」と。

そうしたら友人は「うん、まさにそういう状態だよ」と。

そして「いま、すごく理解されたと感じている」と言いました。

話の内容は友人が長年抱えている状況についてでしたが、実はその話はこれまでに何度か聞いたことのあるものでした。

実のところ、これまでは「そうなんだ。辛そうだね」程度の感想しか持っていなかったのですが、ピクチャリングをしてそのピクチャーをじっくり眺めてみたら、驚いたことに「それは本当に辛いことだね。確かにしんどいと思う」という言葉が自然と私の口から発せられました。

同情でも共感でもなく。

聞き手の私が、話し手の友人と同じ『映像(ピクチャー)』を観たことで確かに「共有された」瞬間でした。

はじめて「話が見えた」と感じました。

(余談ですが「話が見えない」という日本語は、人の話を理解したかどうかの具合を非常によく表してくれる言葉だと感じます)

 

ピクチャリングをしたことで話がよく分かり、友人にも私が理解したことが伝わったということは、裏をかえせば、これまでは聞き流していたということです。友人の「理解されたと感じている」という言葉は、私のこれまでの雑な聞き方を知らしめてくれました(友人の発言には私を責める意図はまったくありませんでしたが。念のため)。

 

私は心の中でひとり、申し訳なく思って謝りました。


振り返って、なぜその夜はそんなにもスムーズにピクチャリングで聴けたのかを考えてみると、

・週末で仕事や雑事が頭になく、私自身がとてもリラックスしていた

・静かな夜で、集中できた

・相手を助けようという考えがゼロだった

・上記3つが無意識のうちに整っていた

という要因が挙がりました。


なにも足さない。なにも引かない。ただ、観る。

それだけで、その友人と深いものを分かち合うことができました。双方にとって非常に満ち足りた時間となったのです。

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