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2021.06.08日-
稽古とはなにか?

しばらく前から「稽古」という言葉に引かれています。

茶道の表千家お家元 猶有斎  千宗左さまが、このようなことを書いておられました。

(中略)

そして稽古は「授業」でも「レッスン」でもありません。

たんに知識を増やしたり技能を向上させるためのものではなく(もちろんそうしたことも大いに大切ですが)、「古(いにしえ)を稽(かんが)う」の言葉にあるように、繰り返しの稽古で古来より大切にされてきたふるまい(型)を身につけ、その「型」にやどる心を学ぶことにその意義があるのです。

(表千家同門会会報「同門」2021年6月号)

 

なぜ「稽古」は「稽古」と呼ぶのかと、このところ考えていました。

パソコンを開けば、おびただしい数のセミナーや講座が日々開催されています。

知識インプットやスキル向上には、何ら困らない時代です。

授業やレッスンで習得した知識は、大きな糧になるでしょう。真剣に学べば学ぶほどに自分の血肉となり、仕事や人生に欠かせない知恵となります。

それでも、そうした場のことを「稽古」と呼ぶことはないと思われます。

稽古とはなにか?

このことを考える時、かつて短い期間でしたが、金沢で師事したお茶の大先生のことを思い出します。

私が弟子入りした時にはすでに80歳を超えていらしたその大先生は、若い頃から京都へお茶のお稽古に通い、熱心に勉強を続けてこられた方でした。高齢になってもご家族の心配をよそに、金沢から京都へ泊まりがけでお家元の稽古にお出掛けになっていました。

その大先生の葬儀で喪主を務められた一人娘の方(私たち弟子にとっての先生)が、このようなお話を聞かせてくれました。

亡き母は「稽古は通うことが八割」だと申しておりました。

娘時代の母は、雪が降り積もる羽咋(能登半島の付け根)の田舎道をお茶の稽古のために歩いて通いました。お稽古場に行くことが稽古だと。

その後、大先生は京都のお家元の稽古に行くようになります。娘さんがまだ小さい頃でした。

雪の積もる羽咋からモンペを履いて金沢へ出て、金沢駅で着物とぞうりに履き替えてから、特急列車に乗って母(大先生)は京都まで通いました。

まだ私が小さかったものですから、お稽古が終わるとすぐに家へ帰ってきてくれた母は「今日はこんなことを習った」「新しいことを教わった」と嬉しそうに話していたものです。

 

オンラインでどこにいても良質な学びが得られる環境は、私たちに大きな「学ぶ自由」をもたらしました。
苦労して通うことに意味がある、などとは思いません。それではまるで、炎天下で水も飲まずに走らされる部活動のようなものです。苦痛や手間をかけたからといって、学びや訓練の質が向上するわけではありません。

ただ私は、敬愛する大先生の葬儀でこの話を聞いたときに、こう思ったのです。

そこまでの覚悟と熱意が自分にあるだろうか?と。

オンラインで手軽に申し込んで、開始時刻の直前にパソコンに向かってなにかを得ようとする自分には、どれほどの意欲があるのだろうか、と。

時間や労力をかけてお稽古に通わなければいけない環境では、自分の意志が試されます。

そこまでの手間をかけても、お前は稽古がしたいのか。

学び、身に付け、たどり着きたい場所があるのか。

どうしてもそこへ行きたいのか。

「稽古は通うことが八割」という言葉には、強く志が問われているように感じます。

 


この本を読んでみます。

稽古の思想

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